2007年03月28日

遅くなる

物事の始まりと終わりを考えた時、なんて薄っぺらいもの
なんだとよく感じる。感じるからなんだといえば、なんでも
ないかのように毎日を過ごしていくしかない。
ひとたまりもなく誰かに言われたことば
誰かに何気に言ったことば

かえってくるはずもない返答を自分で想像し
またニヤけて、少し落ち込む。
そんな思考回路の繰り返しで
ロボットが動き過ぎてフリーズするかのように
だんだん思考はゆっくり遅くなる。

あのとき、あの発言をした後でこの人から
こんなことばを言われたような、いや違う。
この人からこういうことばを言われたいと思ってた
だけであって本当に発言したのは誰だったんだろう。

とか。

だんだんゆっくりしていく。
そして日が沈む。今日も沈む。
ゆっくりゆっくり
posted by 最中とモナカ at 03:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年03月19日

睡眠法

物事を考えこんでしまうと、寝れなくなるという
人が多いようだ。
そもそも人には休息が必要不可欠なのは言うまでもない。
生命がある限り休憩することも、どこかでしないと
苦しくなる。

羊を数えても眠れない、駄目なら何もかも忘れる
努力をしてみたい。
それでも何も忘れられないのなら、それは仕方ないことだと
開き直るしかない。
そんな繰り返しで朝を迎えるときがあるのならば、
そんな感じだと受け入れることしか出来ないように
感じる。

寝たいときにすぐ寝れるというのは、特技なのかもしれない。
私は、特に考え込むこともないが寝ようと思っても
すぐは眠れない。
posted by 最中とモナカ at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年02月18日

堕落

夢と紙一重なのが堕落ではないかと感じるときがある。
それは何かと上手くいかないこともあれば、
思ったように達成できないことからの反動なのかもしれない。
夢の達成というのは、実際のところどういうことなのか?
それは人によって違うということしか明確ではない。

子供の頃からの夢と社会に出てからの夢は大きく異なる。
夢は現実を知れば知るほど小さくなっていく。
これは、とても寂しいことだ。
でも、それは致し方ないことだと納得することも
大切なのだろう。

その意志は、あくまでも本人が決定することで
周囲が押し付けるものではない。
夢の達成は、そう考えると本当に達成しているのは
意外に多いのかもしれない。
他人から見たら小さな夢でも、本人にとっては
壮大な夢であることがあってもいい。

重要なのは達成できなかったときに、
どう対処していくことかに尽きる。
堕落しても、そこから新たな道も拓けるかもしれない。
いや可能性というものは、いつも持つことができる。
それは生物に与えられた特権でもあるのではないだろうか。
堕落からの脱却は、希望を持っていればチャンスも来る
と思っている。
posted by 最中とモナカ at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年02月07日

くだらないことから

何も難しいことや、その方向性を信じる必要はな
ないのかもしれない。
楽になる重要性は、人生にとって欠かせないのではと
さえ感じる。

私はくだらないことへの蔑視は、全くない。
くだらないと言うと、かなり馬鹿げたことなのかもしれない。
人に迷惑をかける馬鹿げたことには否定的である。
逆に人々を楽しませる、くらだらないことには肯定した
意見をもっていてもいいのではないかと思っている。

自分にとって、くだらないことが何故必要なのかと考えてみた。
一日の中で、どこかで息を入れることは大事なことでもある。
それが出来なければ息が詰まる状態になるのではと、
想像するだけでも重い感じがする。
だからと言って、そんな時にくだらないことをする必要が
あるのかどうかは本人が決定することでもある。
では、くだらないこととは?どんなことなのか。
それは無意味なことであって、笑えることでもあるのでは
ないかと思っている。
笑いといっても、お笑い芸人さんたちの笑いとは違う
ものであることは確かなようだ。
posted by 最中とモナカ at 04:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年02月01日

妥協

どこかで妥協することはある。
何故、妥協するのか?
そうしないと物事が進まないからなのかもしれない。
これは大人の発想であって、子供は妥協を知らないのだろうか。
そうでもない、子供たちは子供たちの社会の中で妥協している。
こう考えると、年齢に関係なく人間の集まりの中では妥協は
発生するようだ。
だが妥協してはいけないことも沢山あるのかもしれない。
これは、妥協しないことを助長する意味で云っているのはない。
あくまでも、全てを譲る必要性と価値には否定的だからだ。

全てを譲っては意味がないと、その本人が考えればの話ではあるが、
譲れない部分というのは、大事な気がする。
それは自分本位に行動することではなく、自分本位で何かをやれる
スペースがあればのことなのかもしれない。

例えば、全て任された空間の中で、ここだけは譲れないと
自分の拘りを見せることも必要なのではと思えるからだ。
それがわがままだとしても、他人に迷惑を掛けるわがままでは
なければ押し通すこともあっていい。
一人の人間として譲れないことは、沢山あるのかもしれない。
そこから幾つのことが、自分の拘りを表現できるかが問題なのかも
しれない。
posted by 最中とモナカ at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年01月28日

糧からの創意

経験を積むことは何事にも大切であると同時に、
その過程で失敗を糧にするが後に本当の経験となることが
多いと言われている。
工夫や遊びは常に持っている余裕は、努力によって
得てくるセンスなのかもしれない。

人それぞれのセンスは個性であり、
そこに本来の人間性も出てくるのではないだろうかと思う。
自分のセンスに気づいている人とそうでない人もいる。
これは、気づく必要性があるのかどうかが問題なのでは
なかろうかと考えてみる。
何かを糧にしてセンスを磨いている人は、
そこに独特のものを醸し出している。
それが、全ての人に気づいてもらえるものなのかどうかは
疑問だ。

人によっては、何とも思わないこともあるだろう。
だが気づく人は、そこに興味が持てる。
ある意味、創意工夫といってもそう感じる人ばかりではない。
それでもそこに価値が薄れるということはなく、
結局は本人次第ということでもある。
これは単なる評価であり、評価とは最終的には本人が決める
ことでもある。
勘違いしてはいけないのは、その評価を他人に押し付けることだ。
これは顰蹙を買うこともありえる。
内に秘める思いを過剰に表現することは頂けない。
気づいてくれる相手にだけ、気づいてもらえばいいことだと思う。
posted by 最中とモナカ at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年01月26日

イコールしない

どんなことでも繋がりがあるのかもしれない。
仕事とプライベートは同じと考える人は少ない。
これはビジネスだけでは生きれないからなのかもしれない。
そこには息を抜く時間があってこそ仕事をすることができる
からではないだろうか。

どんなに好きなものがあっても、それは仕事なのか趣味なのか
収入があれば仕事となってしまうのか?
趣味と実益を両立する人は、とても幸せな人なのかもしれない。
もしかたしらそれは、もうすでに仕事として意識の変化が
起こってることも考えられる。

私にとっては、趣味と仕事がイコールすることはない。
そこを両立する術もなければ、どちらか一つを選べと言われて
選ぶとすると、どちらかが破綻をきたす恐れもある。
このテーマは残念ながら、とても簡単に答えが出るものではない。
posted by 最中とモナカ at 01:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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